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よしだが行く あきないえーど編
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■ 「ファザー・テレサ」 第六十九話 株式会社スキッス・ジャポン 川﨑良樹 社長
著:「あきない・えーど」チーフ・プロデューサー 吉田雅紀
今回、ご紹介するのは株式会社スキッス・ジャポンの川﨑良樹社長です。川﨑社長とは1988年からのお付き合いです。当時、川﨑社長はそれまで勤めていた会社を辞めて、スキッス・ジャポンの前身である株式会社ビリティスを設立された時でした。この会社はフランスの子供服「レネット」の日本総代理店として川﨑社長49%、レネット51%、の持ち株で作られた会社です。

1988年の秋にある方の紹介で、川﨑社長が僕のところに来られたのですが、その時に僕が1時間ほどお待たせしたようです(笑)。川﨑社長談「僕は吉田君と初めて会った時、南千里の店で1時間待たされたんやわ~。吉田君覚えてるか?」そんな14年も前の話、覚えてませんけど、酒飲むたびに川﨑社長からなんべんもお聞きしたんで、知ってはいますが‥(笑)。
僕は当時、ポムアレーという子供用品のFCを展開していて、川﨑社長とこの商品を扱うことになります。お付き合いはそこから始まり、今では商売のからみはないですが、もっぱらプライベートなお付き合いです。どこがどう気が合うのか? ちょっと意味不明なんですが、僕の二つ上で「理屈っぽい兄貴」というとこでしょうか?(笑)

川﨑社長は学生時代にフランスに留学してはります。みんながアメリカ見てた時期にちょっと変わった青年やったようです(笑)。もう一つ、スキー大好き青年で、出来ればスポーツ関係の仕事をしたいと思てはりました。この二つががっちゃんして、入られた会社が京都の千丸スポーツさんです。ここはスキーの手袋のメーカーで昭和45年にはすでに台湾に進出するような先進的なメーカーさんでした。取引先は日本の一流メーカーのみならず、世界に名だたるブランドに至るまでお客さんを持ってはりました。
事件は(事件でもないか‥)1987年の冬、フランスはパリで起こります。ミュンヘンであったスキーの展示会を終えて、川﨑社長はパリに来てはりました。その日の夕食は仕事関係で懇意にしていたロジェー・ミコルと、同行してた商社のデザイナー福島さんの三人でした。

ミコルは天才スキーヤー、ジャンクロード・キリーの義弟で、キリーブランドの会社を身内と経営してはりました。話は彼がレネットという子供服の会社を買ったというところから始まります。こいつを世界ブランドに育てたいが‥「ムッシュカワサキ、アナタ、ニホンデ、コノ、コドモフク、ウッテクレマセンカ、フタリデ、カイシャヲ、ツクリマショウ、ドウデスカ」とフランス語で言ったとか、言わなかったとか‥(笑)。
後になって、川﨑社長がなんで、あの時、僕を誘ったのか? ってミコルに質問したら、彼は「あの時、お前は会社を辞めたそうな顔をしてた‥」と言ったらしいです。確かに、当時、川﨑社長は仕事で悩んではりました。2代目とうまくいってなかったんです。社長の右腕として世界を相手に仕事をしてはった訳ですが「オレがおったんでは、アイツがやりにくいやろ~」なんて勝手に考えてはったみたいです。
話は戻って1987年のパリ。ホテルに帰ると福島さんが、「川﨑さん、ミコルとどんな話やったんですか?」って聞いてきました。川﨑社長が「日本で会社作らへんか?って」と言うと、僕も一緒にやりたいと言いださはります。川﨑社長は出張先やし、海外やし、パリやし、のぼせ上ってるんやから、日本に帰って冷静に考えて、それでも一緒にしたかったらおいで、とたしなめはります。「わかりました」でその場は収まったんですが、福島さんは本気やったみたいで、日本に帰ってから川﨑さんのところに来はります。「ほな、しゃ~ないな~」ってことで二人の創業になりました。福島さんはデザイナーですから、子供服とは別にデザインもスキッス(当時はビリティス)の仕事になりました。そして、むさくるしい男二人のオフィスにオケイチャンこと神谷(旧姓白波瀬)恵子さんが来ます。彼女は千丸にいたんですが、その時はすでに辞めてはって、川﨑社長のお誘いで、スキッスに参加しはります。

苦しいスタートアップ時期を乗り越えて、事業は順調に成長します。当時、川﨑社長は「子供服を通じてヨーロッパのライフスタイルを伝えたい」なんてよく言ってはりました。 「吉田君、日本ではヨーロッパのライフスタイルを無視して、形だけを商品として取り入れられているのは間違いや。 パリの普通のおばちゃんがオペラ座へ行く時はベアバックのドレスにシャネルのバッグを持って来よる、何処にしもてたんやと思うけどチャンと持ってるんやなこれが。 オシャレの為にオペラ座がある訳や勿論ない、でもオシャレのシチュエーションがある、それらが全体となって文化となっている、ここが彼等の偉いとこや。 日本でも結婚式やピアノの発表会だけやのうて、オシャレの出来る文化の掘り起こしまで出来たらええな。」なんて話しやったと思います。
その川﨑社長に事件が起こります。これはほんまに事件。平成5年、3月。フランスの親会社、レネットが倒産してしまいます。当時、お付き合いのあったメーカーさんから電話が入ります。「川﨑社長、大変やね。ミコルとこ、倒産したみたいやんか?知ってるよね」ゲェ!、知りませんがな、そんなこと。頭が真っ白になって‥。その時のことを川﨑社長は‥「情報が入ってこないんです。何がどうなってるのかわからない。ミコルとも連絡が取れない。この情報がない状態がパニックを起こすんですわ。問題は二つ。一つは商品が入って来ない。もう一つはうちの株が債権者に行ってしまう。でもよく考えてみると入って来ないのは商品です。金やない。それに子供服メーカーなら他にもある。事実、その後、レネットを買ったメーカーとも取引が始まります。後、株の話ですが、破産してますから、フランスも日本と同じで債権は管財人が管理していて、債権者のとこに行ったんと違う訳です。交渉の結果、管財人から20%評価で買い戻しました。結果、オーライやった訳です」

その後も業績は順調に伸びて、1995年に自社ビルが建ちます。「ビル建てたら、業績落ちるよ」の風評もなんのその。その後も優良企業を続けてはります。
そんな川﨑社長に「仕事への思い」をお聞きしました。
「うちはインポートの事業と福島のやってるデザイン、子供服やスポーツ関係のOEM生産といくつかの柱があります。その中でもインポートの仕事は僕の礎ですし、創業の時の「志」です。日本にもヨーロッパにも商社はいや程あります。ただ、その多くは口聞き口銭屋的仕事をしてはります。うちは日本のパートナーとなってブランドのコンセプトやその企業理念を日本で広めて行くことが仕事です。商品はそのツールです。この仕事は大きさやないです。『思い』です。」
出ました! 川﨑節!(笑) 川﨑社長の話はブランドコンセプトから企業理念、社員の幸せから、本当の事業の成功とは、まで幅が広いんです。そこにお酒が入ると、貴族文化から政治、経済、社会、最後は世界平和まで広がります。そんな川﨑社長の仲間内のあだ名は「ファザーテレサ」。思いはマザーテレサと同じ、でも川﨑社長は男なんで「ファザーテレサ」です(笑)。
川﨑社長、お忙しいとこありがとうございました。
いくつか失礼な表現があったと思いますが、お付き合いの長さに免じてお許し下さい。
これからもよろしくお願いします。
■「よしだが行く!」鞄持ち後記■
第69話 サポート・システム 佐藤喜良

中国進出支援サービス事業を展開するサポートシステムの佐藤喜良です。
当日、㈱スキッスさんに着くと、そこはまさにお花畑。小さくてかわいい、色とりどりの幼児服が並ぶ四階の展示ルーム。あきない・えーどのスタッフ(女性)が『うちの親戚の子は、男の子は足が長くてカッコ良くて、女の子は超かわいいの』と言いつつ、幼児服と戯れている姿は本当に平和そのもの。一方私は、これから伺う川﨑社長の『経営道』を勉強させていただくべく、「どんな事をお伺いしようか?」などと、静かに窓の外を眺めながら考えていたのでした。
吉田所長が到着して、早速インタビュー開始。登場した川﨑社長を見てびっくり。「え!さっき入り口で案内してくれたおじさん?」驚く私をよそに、吉田所長から繰り出される非常に軽いノリのトーク。「え、そんなー。もっと経営道とか、経営戦略とかの話を聞けるんじゃなかったの?」混乱する私の頭をすりぬけていく言葉は『~が好きやったから、そこにたまたま入社して~』、『会社辞めたそうに見えたらしくて、代理店経営せえへんか言われて~』等々。そのあと、『京都のほとんどの中小企業経営者は~と~の区別がでけへん』という話し。「えー!京都の社長はんてそんなにレベル低いの?」と思うてる所に、吉田所長からとどめの一言。『おまえ、分かってないやろ。』
そんな風にあわただしく終わったスキッスさん訪問。その後、吉田所長やスタッフとは別行動で、先約があった京都の友人とモンゴル風居酒屋で一杯。生ビールを飲みながら、先ほどの「スキッスさん訪問」についてぼーんやりと考えている私に話し掛ける友人(会社幹部)の話は、「あなたコンサルタント?」と思えるような経営専門用語の連発。そこで、『そこまで経営が分かるんやったら、起業したら?』と質問。すると、ややうろたえながらの返事は『でも、わしの問題は、何をやったらええかそれが分からんのや』『何したら儲かるかなー』。友人のその話を聞いて、先ほどの川﨑社長の話しが私の頭に浮かんできたのでした。
『~が好きで』、『好きな~と関係があるから』、『価値観の異なる一人一人の社員をどうやって幸せにできるのか? を考えてる』。どれもこれも、自分の思いがもとになっていた。その点が、今目の前にいる友人との一番おおきな違いだった。「自分は~をする事が好きである事。それが、自分にとって幸せである事。自分と同じように人(社員)もそれぞれ幸せを目的として生きている。じゃー、人間の『幸せを求めるパワー』を事業に活かす経営の方向って何だろう?」そんなメッセージを、飾らない話し方で「笑い話し風」に語ってくれていたんだ。そう自分1人で納得した私は、『うーん!深い。』と一言。なにか勘違いをして『そうかなー。そうでもないよー。』と頭を掻きながら照れる友人ともう一杯「乾杯―!」。その晩は、また川﨑社長に機会があればお会いしたい。と心から念じつつ家路に着いたのでした。
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