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よしだが行く あきないえーど編

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■ 「ろうそくの火」 第五十三話 プロサイド株式会社 椎名蕘慶 社長

著:「あきない・えーど」所長 吉田雅紀

今週もスペシャルバージョンです。ご紹介するのはプロサイド株式会社の椎名蕘慶社長です。東京駅からJR京葉線で稲毛海岸駅まで行ってきました。最近の吉田は「どこにでも行く!」状態です(笑)。

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プロサイドはデスクトップやサーバを中心にしたハードメーカーさんです。このプロサイドは1987年に椎名社長が設立されました。今日のお話はこのプロサイト設立からまだ15年以上遡ります。時は1970年、椎名社長は27才でした。

この年に椎名社長は仲間と株式会社ソードを設立されます。ソードの社名は「ソフト+ハード」からきています。ハードとはマイコンのことでした。当時はまだパソコンという言葉がありませんでした。小型機はマイコンとかミニコンとか言われていた時代です。ソフトとはOSとかアプリケーションです。ソードの代表的なソフトはスプレッドシートでした。

椎名社長のビジョンはマイコンを一般的なツールにすること。専門家の道具からオフィスでみんなが使う「電卓と線引きと鉛筆、消しゴム」にすることでした。未来のオフィスでは5人に1台ぐらいの普及率をイメージしてはりました。1970年にコレを考えてはったというのが、ビックリです。今は1人1台の時代になりましたが、方向性は間違いなくパーソナルユースへと進みました。椎名社長にはこの時代が見えていたんだと思います。

その為には当時1000~1500万円していたコンピュータをハード、ソフト込みで50万円にするのが目標でした。結果的に出来た商品は150万円でしたがそれでも10/1のコストダウンです。ライバルはアップル。70年代はソードとアップルが世界マイコン市場を二分します。
1979年に発売したスプレッドシートも大ブレークします。このソフトは計算式とデータベースがセットになったような商品で今で言うならマイクロソフトのエクセル+アクセスみたいなもんです。実はこのエクセルの基本ソフトの特許はソードが持っていました。このソフトは27%の市場シェアを獲得するところまで育ちます。

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80年代に入ってソードはビジネスユースから一般ユースのマイコンを開発。これがヒットします。世界各地に30を超える子会社や関連会社を抱えるようになり、84年3月期では本体220億円、グループ会社130億円の総売上げ350億円までの企業に育ちます。

そして、84年10月に株式公開を目指していました。しかし、この年の前半から一気に雲行きが悪くなってきたのです。1970年代末から大手のコンピュータメーカーがマイコンの市場に参入し始めました。1978年にNECがPC88シリーズを市場に投入したのを皮切りに各社がパソコンを作り始めました。ここにきて、パソコンという名も市場で確立してきます。

しかし、この時、ソードは倍々ゲームで伸びています。大手の参入は確かに脅威でしたが、自社の開発力に自信があった椎名社長は「来るならコイ!」と思ってはりました。当時の勢いでは、これだけ急激に状況が変化するとは想像できなかったと思います。

研究開発力で既存企業を追い抜いてきたソードです。自信はありました。ところが、上場準備に入った頃から、市場に経営不振情報が流れたり、根も葉もない噂が流れたり、一番こたえたのは半導体不足で部品の供給が滞り始めたのです。モノが作れないのですから、売上も急激に落ち始めます。この年は結果的に220億円の売上が180億円まで落ちます。ベンチャー企業というのは既存の業界をかき回す存在ですから、その急成長はやはり「出る杭」です。既存企業にとっては脅威に違いありません。

1984年第3四半期、ソードは株式公開どころではなくなります。そして、椎名社長は売上が落ちていく中で苦渋の選択をされます。事業の売却ですです。「続けることも当然考えた」と言っておられました。このまま継続してもし、倒産したら、取引先や株主、お客様、社員と波及するダメージは計り知れません。椎名社長はこう言っておられます。「いろんなことを総合的に検討して事業の売却の決断をしました。今でもこのソリューションを選んだことに後悔はしていません。後悔どころか、一番いい判断であったと思っています。事業を売却しなければならない経緯については失敗だったと思いますが、売ったことは成功だったと思っています」

椎名社長はパソコンという潜在市場を顕在化させたベンチャーです。しかし、その市場は社長の想像を超えて巨大市場に成長して行きます。ニッチであった市場がマスになってしまった。ライバルのはずではない大手コンピュータメーカーが市場に参入してくる。ソードの不幸はここにあったような気がします。

椎名社長がもう一つ印象的なことをおっしゃっていました。「吉田さん。真っ暗な中ではロウソクの火でも充分に明るいんです。これが70年代のパソコン市場です。ロウソクの火はソードです。そして80年代。その真っ暗な部屋で蛍光灯が『パチ』っと点きます。これが当時の大手コンピュータメーカーです。ロウソクの火はどうなりますか?見えなくなってしまいますよね」

その後、パソコン市場はハード、ソフトとも世界競合の中で大手資本が激突する熾烈な市場となりました。もし、あの時、椎名社長が事業の売却を決断されてなかったら、ソードはどうなっていたのでしょうか?やはり、事業の売却に至る経緯は失敗。でも、事業の売却の決断は正解やったと僕も思います。

その後、今のプロサイドを作られます。このプロサイドはハードに特化した事業でした。ソフト+ハードのソードを15年。ハードのプロサイドを15年。そして、今、椎名社長はソフトに特化した事業を考えておられます。15年が一区切り。椎名社長は次の15年の準備を始めておられます。今年、59才の椎名社長ですが、そのベンチャースピリットには脱帽です。

椎名社長、お忙しい中、ありがとうございました。15年経ったら、この新事業の顛末‥また、お聞かせ下さい(笑)。ほんとうにありがとうございました。

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