株式会社あきない総合研究所

吉田コンテンツ

よしだが行く あきないえーど編

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■ 「不易流行」  第三十五話 株式会社イソカイ 磯貝昌信 社長

著:「あきない・えーど」所長 吉田雅紀

みなさん、こんにちは!今回、ご紹介する社長は株式会社イソカイの磯貝 昌信社長です。http://www.isokai.co.jp/

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イソカイさんのウェッブサイトにお邪魔すると、トップページに「元祖毛糸のパンツ ピンクのパンダさん柄でGO!」(笑)のバナーが一番最初に目に飛び込んできます。そうです。今回お邪魔したのは「毛糸のパンツの仕掛け人」あの磯貝社長です。

磯貝社長とは産創館の1周年イベント「トークバトル!人生リターンマッチやで」でご一緒させていただき、それがご縁で今回のお邪魔することになりました。
そのトークバトルで磯貝社長のファンになった方も多いと思います。あきない・えーどの副所長の上田もその一人。今回の取材にどうしても同行したいというので、W鞄持ちになってしまいました。確かになんともいえない魅力を磯貝社長はお持ちです。でも、その魅力がなんなのか?ようわからんのです(笑)。ようわからんから余計に魅力的なのか(笑)?魅力的やからわからんのか(笑)?いったいあのお人柄はどこからきているのでしょうか?なんとかこの「魅力の元」を解明してみようというのが今回の試みです。さて、この取材が終わるころにはその魅力の秘密が解き明かされているのか?はたまた、よけわからんようになっているのか?始まり始まりです。

磯貝社長は昭和20年、この地、奈良田原本でお生まれになります。男の子ばっかりの4人兄弟のご長男です。田原本はパンツの産地です。パンツと言っても当時のことですから、綿でできたデカパンです。若い人にはわかりにくいと思いますが、バカボンのパパとか山下清が履いてた「あ・れ」です。昭和30年代に田原本高校が甲子園に出場したとき、応援団の「デカパンのノボリ」がテレビ放映され、全国的に有名になりました。当時、田原本はパンツ生産量の60%のシェアを誇ってました。そんな田原本で磯貝社長のお父様が昭和28年にパンツとエプロンの工場(こうばって読んで下さい)を始められます。そのデカパンが50年余りの歳月を経て「毛糸のパンツ」になりました。パンダさん柄でGO!です(笑)。

磯貝社長は大学を卒業されて、そのまま、お父様の会社に入られます。その時の話をお聞きしました。

「大学を卒業する前から家業を手伝っていました。子どもは大切な労働力です(笑)。僕は長男ですから、ちっちゃい時から弟たちにご飯を食べさせて、宿題を見てやって、主婦してました(笑)。だって、家内工業ですから、隣で親父が裁断してお袋がミシンを踏んでるわけです。二人はまだ、星の出ているころから働き始めて、星の出るころまで仕事をします。家のことは長男の僕がきりもりしていました。大学を卒業した時も親父は人手が足らないので早く僕に仕事をさせたい。僕は僕で、当時からおっとりした性格やったので、『満員電車で通勤なんて、まっぴら‥会社と家が隣で、通勤しなくていいし‥』これだけの理由で親父の会社に入りました。それから10年、裁断だけをやっていました。ようするに職人です」

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このお話をお聞きして、磯貝社長のベースにあるものが見えたような気がしました。それは「家族で仕事をすること」「勤勉であること」‥違いますか?磯貝社長?

㈱イソカイの社是は「BE HAPPY!社業に従事するすべての人の幸福追求の職場である」です。人のことについていろいろお話しましたが、僕が能力主義とか成果主義とか「あかんヤツはクビ」なんていうと磯貝社長が「そうですよね~。吉田さんの言わはる通りですよね~。でも、僕にはやっぱり、できませんわ~」って返ってきます。磯貝社長にとって社員は家族です。自分の幸せとみんなの幸せが一緒になっているんやと思います。磯貝社長だけやなくて、みんなが一緒になっているんやと思います。それで、家族なんやから、みんなで一緒に力合わせて、一生懸命に働く。これつまり「勤勉」です。
以上、吉田的理解でした。次ぎ、行きます。

磯貝社長は過去3回の経営危機を乗り越えて来られました。まず最初の試練は昭和53年。48年のオイルショックのあおりを受けて、東名阪の主力得意先3社が同時に倒産してしまいます。年商6億の時に1億7千万の不良債権を抱えてしまわはります。2回目は昭和62年、類焼で本社が全焼します。25億あった売上が18億までダウンします。そして、3回目はこの平成不況です。長崎屋とマイカルだけでも1億1千万の売掛債権が紙くずになりました。磯貝社長はこの3回の逆境をいずれもヒット商品を世に送り出すことで乗り越えて来られました。それが、コミックパンツであり、サイバーギアであり、今回の「毛糸のパンツ」です。

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この3回の経営危機とヒット商品についての磯貝社長の弁です。
「最初の危機の時、僕はまだ裁断してましたから、これは正しくは親父の失敗です(笑)。このままではあかんということで、僕が企画営業として前に出ることになりました。その時生まれたのがコミックパンツ(トランクス)です。次の危機、火事にはまいりました(笑)。お隣さんからの類焼なんですが、翌日にお隣の方が謝りにこられましたが、『すいません』と言われて『どういたしまして‥』とも言えないし‥(笑)。その後、サイバーギアというニットタイプのトランクスがヒットします。当時、カルバンクラインとかポロからも出始めていましたが、そのサイバーギアがポパイの表紙を飾りました。キムタクがモデルでニットトランクス一枚での写真でした。キムタクの裸が話題になったのですが、そのトランクスのゴム部分に付いているちっちゃな織ネームには「CYBER GEAR」のロゴが‥。ここから火が付きます。3回目がマイカルの倒産。『どうしよう‥』っておろおろしてたんですけど、どうしようもないので、取敢えず銀行に走りました。支店長に『マイカルが倒産して‥うちが‥』なんていうと、今度は支店長がおろおろして、『社長、どうしましょう』なんて聞いてくるもんですから、思わず僕は『なんとかなります。心配しないで下さい』なんて支店長を慰めていました(笑)。ここで毛糸のパンツがヒットします。平成10年に最初の毛糸のパンツを出しました。その年の売上が6千枚。翌11年が5万枚。12年が16万枚。13年が55万枚売れました。よかったです。」

コミックパンツやサイバーギア、毛糸のパンツが生み出された経緯もお聞きしました。どれも「なるほど」って関心するお話ばっかりでした。モノ作りですから、技術の裏づけがあったり、量産のノウハウがあったり‥と、しかし、そこまでご紹介していると本になってしまいますので(笑)、その辺ははし折ってお伝えしていますが、読者のみなさんはこのお話がどのように聞こえましたか?僕は磯貝社長の楽観主義「なんとかなるよ」とその楽観主義の中にある行動力「やる!」の二つを感じました。磯貝社長はおっとりとしたご性格で、バタバタされたところがありません。これ僕と正反対です。ニコニコしておられて、ぽつりぽつりと冗談を言わはります(笑)。でも、見方を変えれば「一喜一憂」しない人やないかと思いました。

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楽観主義の人はそうでない人から見ると「なんか大丈夫かいなぁ~」って見えることがありますが、実は楽観主義の裏には物に動じない意思の強さがあります。口では「なんとかなるよ~」なんて言ってますが、実は自分が「なんとかする」強さと行動力を持っています。

磯貝社長は「僕はちっちゃい時から喧嘩したことないんです。『しかし』とか『それは違う』とか言ったことがないです。」とおっしゃっていました。確かに僕とお話していても、否定的な意見は一切おっしゃいません。人の意見を否定しないで、どのようにして、自分の意見を通すか。その極意が‥。今回お話を聞いてわかったんです。前段の「人の話」を思い出して下さい。「そうですよね~。吉田さんの言わはる通りですよね~。でも、僕にはやっぱり、できませんわ~」これです。磯貝社長はなるほどとわかる事でも出来ないことはしないんです。言葉を変えると「したくないことはしないんです」その基準は理屈やないと思います。磯貝社長の正体は実は「おっとりしたがんこオヤジ」やったんです(笑)。ごめんなさい。磯貝社長、失礼な表現お許し下さい。

経営危機とヒット商品。この相関には磯貝社長の「楽観主義的おっとりがんこオヤジ」が介在していたのでした。これ、吉田の独断と偏見ですが‥。違います?磯貝社長?

最後にヒット商品の開発についてお聞きしました。磯貝社長の弁です。
「『不易流行』って吉田さん知ってます?不易とはいつまでも変わらないことですが、流行とは新しみを求めて変化を重ねていくことです。でも流行性こそが「不易」の本質であるということなんです。イソカイはとっぴな商品を作ってる訳ではないんですよ。今まであったものをちょっと工夫して、時流に乗せたり、今までのターゲットと違う層を狙いを定めて、コンセプトやデザインを変えたりしているだけです。今、売り出し中の商品は『ロングボクサー』です。これ何かわかりますか?お父さんの『ステテコ』です。これを若者向けに開発中です」

磯貝社長のところはマスコミに取り上げられることが多くて、このマスコミ効果でまたまたヒットするということになります。マスコミをうまく使ってるように見えますが、マスコミをこちらの意思で都合よく誘導できるもんではないです。僕は磯貝社長のところの商品が他にない個性というか面白みをもっているから、マスコミが取り上げるんやと思います。その面白みの一番は「流行の先っぽ」やからと思います。

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会社概要のトップのところに「Working Communication」と題して、磯貝社長が「私達のWorking Communicationは、ファッションとクリエイティブです。それは一般のアパレルのように求められるニーズを追い、既存のマーケットに参入していくようなものではありません。また人々が気かつかない潜在的なニーズを掘り起こし、新しいインナーの装い方や機能性、役割をも創造していくパイオニアの道を歩んでいます。」と書いておられます。まさしく、ヒット商品の真髄はここにあるのではないでしょうか???

磯貝社長、ありがとうございました。読者のみなさん、またまた、長くなりました。お許し下さい。こんな、しゃべりはあきませんわ~(笑)。
さてさて、目論見通り、磯貝社長の「魅力の元」が解き明かされたでしょうか?いや~やっぱ、ちょっと、届いてませんね~。こっちの修行が足らないようです。
磯貝社長、本当にお忙しいところをありがとうございました。これをご縁にあきない・えーどをご贔屓に‥

■「よしだが行く!」鞄持ち後記■
第35話 鞄持ち後記 株式会社シンク・ビー 奥田良平

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初めまして。株式会社シンク・ビー・相談役の奥田良平です。吉田所長とは、小泉産業におられた頃からの腐れ縁?で、今回の話も一緒に食事をしていた折に「トークバトル」の話になり「今度イソカイさんとこ行くねんで」と言うことから「鞄持ちさせて下さい」とお願いし、実現しました。

かたや今回訪問させていただいた株式会社イソカイの磯貝社長とは、奈良県の衣料縫製品組合でご一緒させていただいてた縁。最近は、テレビで拝見することも多く「是非一度金庫見せて下さい(笑)」と言うことで、実現しました。吉田さん曰く「外見はおすぎで、喋り方はピーコ」(逆やったかなぁ?)という磯貝さんに初めて会社の歴史を聞かせていただきました。

先ずは「金庫」の話の補足から・・・。以前観たテレビ番組で「磯貝社長は会社を元気にさせたヒット商品を大切に金庫にしまっている」といった内容の放映がありました。今回の話が決まった時に磯貝さんに「今度吉田が行くの鞄持ちでお邪魔します」とお伝えした折に「テレビで拝見した金庫見せて下さいね!」とお願いしたのですが、「あれはやらせよぉ、そんなん見せられへんワ」との返事でした。

さて、やっと本題の今回お話を聞いた件に入ります。(前段が長すぎる!)

私も身を置く奈良は、繊維製品や靴下・ニットの産地です。イソカイさんは、田原本でパンツを作っておられた会社で、過去から色々ヒット商品を出して来られたことで有名でした。

最近、社長をテレビで見かけることが多かったのですが、お話を聞けば昔から社風のようにテレビに取り上げられておられたそうです。それだけ、インパクトの強い新商品を世に出してこられたんだなぁと感心しました。

来日したカーター大統領のジョギング姿をテレビで見て出されたという「ジョギングタイプのトランクス」、社風(笑)の洒落とエプロンのノウハウを生かして出された「コミックパンツ」、最初に「プリンセスブルマ」と言う商品名が決まっていたという「K-パン」と過去に数々のヒット商品を出して来られたイソカイさん。

テレビに出られるのは、今に始まったことじゃなかったのですね。お嬢さんの有紀さんに言わせれば、「商品に関心があるんじゃなくて、社長が面白いからじゃない?」なんて言っておられましたが・・・。

業界の方が聞けばわかる話ですが、コミックパンツは「金鳥のかとりせんこう」柄や「招き猫」柄のパンツで「パネル柄」だったんですね!!パネル柄とは、商品の形を前提にプリントをした生地を裁断して商品を作る方法です。普通は、総柄を何枚も重ねて裁断する「カットソー」です。トランクスという、いわば「パンツ」=「安い」で、こんな手の込んだことを考えたり、実行するなんて業界人に言わせれば「無謀」な話です。でもそれをし、世に出された会社にビックリすると共に感心した『業界人』の一人でした。

社長は、常々「如何にタンスにない商品を開発するかよねぇ?!」と言っておられるんですが、今回の訪問でも同じことをおっしゃってました。お話を聞かせていただいて正に実践してこられたから出る言葉なんだなぁと感じたようなことでした。 質問の機会で、私が聞きたかったのは、磯貝社長のメールアドレス。@の前がtonosamaなのです。因みに男勝り(笑)のお嬢さんの有紀さんはyukisamaなので、うかがってみました。

「ホントはねぇ、wakasamaがよかったのよ。でもね、有紀が決めちゃったのね。だって今みたいにこんなに使うと思わなかったじゃない」と言うのが答えでした。『絶対君主』なのかなぁ?と思ってたけど、答えは「洒落好き」のイソカイさんの社風(家風?)でした。

冗談めかしいことばかり書きましたが、磯貝社長にいただいた今年の年賀メールは以下のような内容でした。

私たちがこの大変な時代を生き抜くためには、得意分野であるタンス在庫にない商品の開発しかないと思っております。今年は、元気に明るく、常に前向きに、自分の運勢を強く作り上げ、良い年にしたいと考えています。

イソカイ様や磯貝社長のパワーのお裾分けをいただき、僕も元気出して頑張らなければ、と思った訪問でした。磯貝社長、今度は大阪で食事しましょうね!

■「よしだが行く!」番外編■
「手打ちそば はやし」
あきない・えーど 柳瀬美仁

この日、インタビューが終わってから磯貝社長、鞄持ちの奥田さん、所長の吉田と副所長の上田、そして途中で合流したあきない・えーどのスタッフの木村と一緒に「手打そば はやし」にお邪魔しました。

店主の林光男さんはあきない・えーど立ち上げの頃からの会員さんです。大手ゼネコンを早期退職され、このお蕎麦屋さんを始められました。昨年11月には来店客数1万人を突破され、3月に開店1周年を迎えられたそうです。とはいってもここまで順風満帆に来られたわけではありません。職業訓練で3級技能調理士免許を取得し、蕎麦打ちの修行に出られ、事業計画書を書き、融資を受け、腱鞘炎と戦い…。それでも「50歳を過ぎて、こんなに幸福な日々が訪れるとは思いませんでした。私は夢をかなえることが出来た幸運な人間です。」と穏やかな笑顔で話されました。

20人も入ればいっぱいになってしまうお店は、林さんの思い入れが隅々まで行き届いたとても居心地の良い空間です。手の込んだお料理がと生酒が、さりげなく季節をあしらわれてぴったりあった器で供されます。親しい人たちと美味しい肴で旨い酒を酌み交わす…。それ以上に幸せな時間があるでしょうか。ほんのり上気した顔と時おり起こる笑い声に包まれて、親密な時が静かに流れていきました。

林さん。ありがとうございました。あんなに素敵な夜を演出できるなんて、すばらしいお仕事ですね。

「手打そば はやし」

住所 奈良県北葛城郡広陵町馬見北8丁目6番6号
電話 0745-54-6884
営業時間 11時半~14時半(ただし売り切れお仕舞い)
17時半~20時(但し、月曜は昼の部のみ)
定休日 毎週火曜日
(祝日の場合は営業、この場合は水曜休み)
※電話予約する事をお勧めいたします。

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