株式会社あきない総合研究所

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よしだが行く あきないえーど編

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■ 「自分史ビデオ」  第三十三話 株式会社アンテリジャン 子守康範 社長

著:「あきない・えーど」所長 吉田雅紀

みなさん、こんにちは!今回、ご紹介する社長は株式会社アンテリジャンの子守康範社長です。
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http://www.intelligentv.co.jp/
子守?康範?さん?どっかで聞いた名前やないですか?そうです。MBSの子守アナウンサーです。MBSの「あどりぶランド」で「日本一背の高いアナウンサー」で売ってはった子守アナです。今回お会いしましたが確かに大きかったです(笑)。197cmやいうたはりました。
この子守アナ‥もとい、子守社長ですが、実はMBSを1999年12月25日、クリスマスに退社。翌日、12月26日に株式会社アンテリジャン代表取締役に就任。「自分史ビデオ」を中心に独自のコンセプトでビデオ制作に取り組んではります。この「アンテリジャン」って社名は亡くなられたお父様が生前にお作りになった会社の名前を継承されました。子守社長がアナウンサーから事業家になられたのはおじい様の影響で、このおじい様というのは通信販売で有名な「フェリシモ」の創業者でいらっしゃいます。僕より年配の方は「フェリシモ」というより「ハイセンス」って言った方がピンとくるかもわかりませんね。

子守社長は子どもの頃からそのおじい様にかわいがられて大きくならはります。197cm、ほんま大きくならはりました(笑)。成人してからは「早よ、独立して、自分でやらんかい。いつまでサラリーマンしとるんや!」っておじい様から叱咤激励の日々やったらしいです。独立の前年、37才の夏。おじい様が子守社長の将来を心配されて、また、独立について話されました。でも、いつもとトーンが違うんです。今までは「独立ありき」でしかお話にならないおじい様が「康範よ。アナウンサーもいい仕事やけど、もし、会社員を一生続ける気がないなら、そろそろ考えたらどうや?今を逃したら独立は難しいぞ」。この言葉で子守社長は具体的に独立を考え始めはります。
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そして、時を同じくして、ご高齢のおじい様は入院生活に‥。おじい様の余命が少なくなっていることを知らされた子守社長はおじい様の生きざまを記録に残したいと‥。しかし、そんなことをストレートには言えないので、「独立して商売を始めることにしたので、商売の真髄を教えてほしい」って言わはります。その日から子守社長は病室にビデオを持ち込んで、おじい様を撮り続けはります。おじい様は病床にあってもかわいい孫が持つカメラに向かって、商売に関する事、人生に置いて指針になるような事を語ってくれはりました。子守社長はフェリシモにある過去のビデオや写真等も一緒に編集し、テレビ局で養った制作のノウハウをつぎ込んで、おじい様の半生のドラマを1999年正月に完成させはりました。その月のうちにおじい様はお亡くなりになりました。しかし亡くなる前にこのビデオをみて大喜びされたお爺さまや、ご親戚の方々を見て子守社長の事業アイデア「自分史ビデオ」は誕生します。

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おじい様の半生ドラマが出来上がった年、1999年の年末に子守社長は独立しはります。「自分史ビデオ」の制作を事業の柱にしはりますが、スタートしてみると知合いの経営者やプロダクションからのご紹介はみんな企業さん向けのものでした。今までの企業ビデオと言えば、なんか「華やかしい21世紀の我社」みたいなたいそうなヤツか、だらだら流れる素人結婚式ビデオみたいなヤツが多くて、見て面白いと思えるものがなかったとのことです。そこで子守社長はテレビで培った「見る側に立って制作する」、このポリシーで新しいスタイルの企業紹介ビデオを提案しはります。これはわかりやすく言うとNHKの「プロジェクトX」のビデオ版です。会社の中でコツコツと働いている人達を主人公に、本人達にとっては当たり前のような日々の仕事を紹介して、その会社の商品なりサービスをアピールするというコンセプトでした。その会社の頭文字を取って「プロジェクトC」。これは頭文字ですから会社が変われば「プロジェクトA」とか「プロジェクトB」とか、どんどん作っていかれるそうです。

この企業ビデオも子守社長お一人で作られます。子守社長は何回も言いますが、アナウンサーでした。アナウンサーですから、当然、ナレーションはお得意です。でも、子守社長はカメラマンから編集まで、なんでも一人でやらはります。一人でなんでもやってしまう。ちょっと違うか?一人でなんでも出来てしまう。この力量はMBS時代に養われました。アナウンサーでしたけどね‥?話は湾岸戦争にさかのぼります。

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湾岸戦争勃発の前年、1990年、子守アナウンサーはラジオで土曜のニュース番組を担当してはりました。でも、ローカルでのニュースはワシントン発、東京経由。報道って言っても独自で取材したニュースなんていうのはない訳です。主体性もなければ、独自の主張も視点もない。所詮、ローカル‥。そんな話を子守アナウンサーは廊下で同僚にしてはりました。きっと、自分のエネルギーの持って行き場がないイライラもあって、同僚に訴えてはったんでしょう。ところが、その会話を編成部長が聞いてはりました。そして、その編成部長が‥ダダダ~ン。「子守よ。そしたら、お前行って来るか」この一言で中近東への取材が決まりました。同じ行くならと、ラジオだけではもったいないので、テレビ局にも声をかけて、自分でビデオを持って行くから、出来た映像を使ってくれと売り込んで、あどりぶランドでのコーナーが出来ます。これが、民放連の賞を取ったりで、海外であぶない事件が起こったら「取材は子守」になってしまいました。(笑)この取材を通じて、カメラの技術と編集を覚えはります。それが、独立の力になった訳です。

最後に今後のビジョンについてお聞きしました。
子守社長曰く、「今は少し、休憩になっていますが、やっぱり、創業の志は『自分史ビデオ』です。売上とか利益とか業績も大切ですが、これらのこととは別に、僕の仕事の核はこの『自分史ビデオ』です。おじいちゃんからもらった仕事ですから‥。この『自分史ビデオ』をちゃんとした形にします。その為には拠点になるスタジオも欲しいと思っています。映像はあくまで手段ですが、『自分史ビデオ』とは『伝えるべき思い、体験を将来世代に伝える』為のものです。独り善がりのスピーチやページ数の多い出版物ではなかなか伝わりにくい部分を、短時間でしっかり伝えるのが『自分史ビデオ』です。そして伝えるべき思いや体験は、偉人でなくても皆さんがお持ちなのだと思っています。」

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ハイ。了解です。まったくその通りやと思います。100人いれば100の体験があって、それはすべて生きた証やと思います。子守社長、いいお話ありがとうございました。これ以外にも「なんでアナウンサーになってん?」とか「インターネットが動画コンテンツの品質を上げる」とか「経営者は語りべた」とかいっぱい、いいお話がありましたが、すべてをお伝えできません。子守社長、ごめんなさいね。‥ということで、これに懲りずにあきない・えーどをご贔屓に‥お願いします。

■「よしだが行く!」鞄持ち後記■
第33回鞄持ち後記 YUMIふぁーむ 荒木友美子

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こんにちは。吉田所長の鞄持ちをしました、YUMIふぁーむの荒木友美子です。画家・デザイナーの方達と一緒に、皆様に楽しく満足していただけるイベント・商材などを企画・制作・販売しています。今年の1月まで大阪産業創造館準備オフィスにお世話になり、2月から北区南扇町「大阪市創業促進オフィス」に入所し、夢のビジネスに向け頑張っています。

梅田から歩いて10分程の都会の真中とは思えない、古く懐かしい町並みが残る一角に子守社長のオフィスビルはありました。雪の降る寒い日でしたが、オフィスのドアを開けて迎えてくださったのは温かい笑顔の子守社長。と言うより私にはテレビで見ていた日本で1番背の高いアナウンサー(197cmだそうです)、MBSの子守アナウンサーでした。子供の時からの憧れの職業であり、世間の羨望の的であるアナウンサーの職を何の迷いもなく退職されてしまわれたのです。(どうして? なぜ? もったいナーイ!) その背景には、一代で通信販売の大手企業を創り上げられたお爺様の商売人・実業家としてのDNA が影響し、子守社長に受け継がれていたようです

子守社長が会社を起すきっかけになった、お爺様の半生の『自分史ビデオ』 を見せていただきました。小さなアパートの一室から起した会社が大手企業に成長する過程と、入院生活を送られながらも次世代へメッセージを残される姿。家族との団欒などの映像も交えて、感動的な作品に仕上がっていました。(撮影・編集・ナレーション、すべて子守社長一人で作られました。)このビデオを見てお爺様は大変喜ばれてその月のうちに亡くなられたそうです。人生や企業の歴史を映像に残し将来世代に感動が伝えられるのは、テレビ局で培ったノウハウと才能を兼ね備えた子守社長だからできる事業と思います。

吉田所長が、「ブロードバンドで動画配信になり映像が脚光を浴びる時代になりますが、それだけに競合も増えますよね?」の問いかけに子守社長は、きっぱりと「ドンドン出てきてくれていいんです。『本物』 の真価が問われるのですから。『本物』 を制作できるのは我社だけです。」の力強い言葉が印象的でした。

子守社長の得意分野であり、かつ自身が感動できるフィールドで事業を起されたことが私達にとっても事業成功の鍵になるヒントのように感じました。
興味深く参考になるお話ありがとうございました。

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